先生ブログ
バトンブログ中山「教養」
代表
2011年06月07日 10:48
塾長の中山です。
先日、塾内ミーティングにてバトン式に講師の皆でブログを定期的に書いてゆくことが決まったので、先陣を切って書かせてもらいます。
最近学生時代の友人と会う機会がありました。友人達は皆仕事が忙しい中、しかし充実した日々を送っている様子で、非常に有意義な時間を過ごせたのですが、
その席で議題として上がったものの一つとして「教養について」がありましたので、きょうはそのことについて書かせてもらおうと思います。
「教養」という言葉を聞いてみなさんは何を思い浮かべるでしょうか??
その日会っていた友人の中に、雑誌の編集をしている人間がいて、彼がこんな発言をしていました。
「ある企画で東大生の取材をしたんだけど、びっくりしたよ。パクス・アメリカーナって言葉に反応しないんだよ。だからパクス・ロマーナからの造語だよって言ったら、東大生なんて言ったと思う?」
「それって人物名ですか?だってさ」
この話の面白いところは、その東大生は世界史を受験科目に使っていた文系の学生で、将来外務省官僚になりたいと語っているところです。
「パクス・ロマーナ」という言葉は古代ローマが周りの他民族を制圧し領土を拡大していた時代にローマが掲げていた標語で、ラテン語「ローマによる平和」という意味になります。
つまり、文明度が高い我々ローマ人が周りの野蛮な国を支配することによって、野蛮な国を「文明化」して「平和」な世界を作ろうしているんだから、軍事力を使うことも、正当化されるよね?言うこと聞きなさい
という帝国主義を正当化する標語なわけです。
まあそれを文字って、現代のアメリカは、「我々も古代ローマと同じく、世界平和の為に軍事力を使わざるを得ないし、経済的な意味でも、我々が強いことで、秩序を作っているんだから、むしろ感謝しろよ、皆を幸せにしているんだから正義なんだよ」
と、自分たちの正当化の為に「パクス・アメリカーナ」という言葉をつかっているわけです。
話は戻ります。私の友人が言っていたのは、この言葉を知っていないこと自体が問題では無く、将来外務省で働きたいと考えている東大生が知らないということが問題なんじゃないか、ということでした。私も同感です。
彼がもし将来外務省で働くことになったとします。例えばアメリカでもヨーロッパの国であれ、欧米のエリートであれば誰であれ、パクスロマーナという標語はもちろんのこと、日本の近代史、明治維新、徳川幕府レベルのことは知っています。
外交相手の欧米人に「ハロー!ジャパニーズサムライ!パクス・トクガワーナ」といわれたとき
日本人の彼が、「パクストクガワーナ?フーイズディス?」
などと答えようものなら、もうそれは国の恥でしょう。
「オオ!ジーザス!!なんと日本のエリートには教養がないのだろう?やはりイェローモンキーの国だ」
彼ら欧米人は十字を切りながら神に祈りを捧げるに違いありません。
エリートに教養は不可欠です。大学受験に必要な「知識」ではなく、コミュニケーションの幅と深さを広げるための「教養」です。
受験勉強では出てこなかった。学校でも習っていない、は言い訳になりません。
そして、「多くの人間、世界に触れる為の教養」、「より豊かな人格を形成し、より豊かな人生を楽しむためにの教養」と考えれば、「教養」はエリートにだけ必要なものでもありません。
私は現代日本の貧困の本当の原因は経済ではなく、根っこを探って行けば「教養の欠如」にぶちあたるのではないかと考えています。
試験対策だけの勉強ではなく、なんでだろう?どうしてだろう? そういった好奇心を持ってアンテナを張っていれば、日常生活の中でいくらでも学習のチャンスはあり、そうして自発的に身につけた事柄こそが「教養の核」になっていくのではないでしょうか?
ペーパー試験へのテクニックだけだなく、生徒の「教養の核」をつくるチャンスを与える。
その積み重ねによって、どこに出しても恥ずかしくない人材を育ててゆく。
こうしたことこそが、現在の学習塾に求められるべき責務であると感じています。
(保護者会では、もう少し具体的なお話もさせて頂きます。)
そして当然私共講師陣も、日々学習してゆくことで、よりよい学習機会、学習環境、を生徒達に提供出来るよう邁進して参ります。今後ともよろしくお願い致します。塾として、社会科見学やキャリア教育を行う意味と意義もまた強調します!
バトンは国語、社会を担当している山本直樹先生に渡します。次、よろしくお願いします。
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塾、南浦和、北辰テスト、検定、キャリア教育