先生ブログ
習慣化と自主性 by中山
2018年10月31日 1:08
こんにちは 中山です。
「自分からやろうとしない」 「勉強は他人事みたいに考えてる」「少しは主体性を持ってほしい。自分の受験なのに」
中々勉強しないお子さんを持つご家庭から よくよく聞こえてきそうな言葉ですよね
こういう子たちが「習慣を作ること、自主性を育てること。」これが出来るとずいぶん変わってきます。
この「自主性を育てる」 を考えたときにペアで出てくる言葉として よく聞くのが「自己責任」という言葉です
勉強いくら言ってもやらないのはもう放っておくしかない。自分が困って気が付いて 初めて自主的にやるでしょう。その時に間に合わなかったらそれは「自己責任」だよ
とかってあるある な内容だと思います。
でも、「自主性を育てる環境を用意する」こと自体は 周りの大人が子供たちにやってあげることなのかなと、駿英ゼミナールでは考えています。
自主性 これを広辞苑で引くとこんな風に書かれています
自主性・・・・・自分の意志・判断で行動しようとする態度
まあつまり 自分で判断できる状態ってことですよね。
自分で判断するために何が必要なのか?って考えたら それは実は
「余裕」 なんじゃないかと思います。
どういうことか?
自主性がもてない子って、実は自分が今どんな位置にいるのか? が分からない子なんだと思います。
つまり 何をどうしたら 出来るようになるか? 今回駄目だったのは これをやらなかったからだ。
っていう自分の位置付けが分からない。だから 追い詰められて 闇雲に勉強してみて 全然要領を得ない。 だから
「やったのに出来なかった」って思いこむ状況になりがちです。
精神的にも、 自分の位置付けを把握するための経験値的にも「余裕」が全くないから、
自分が分からない →出来ないから他人任せ→自主性が無い
こういう状態になりますよね?
これをどう脱却するのか? これは「習慣を作る」これしかないんですよね。ここは最初は作ってあげる必要がある。
これを出来るようになれば 悩みの次元が上がります。
A、習慣が無い子→「テスト前にどの順番で課題ワークを終わらせるか悩んでる間に時間が無くなってゆく」→「どの教科からやるのか?」→「答えを写すのか?写さないのか?」
次元の低いところで頭を使っているので、 どうやったって自主性なんかもてません。「外からの圧力(時間的な圧迫)」に対処する部分にエネルギーを使ってますから、 無理ですよね。
B、習慣がある子→「課題ワークや、最低限やらないといけないことは考えなくても終わっている」→「余裕をもってさらに自分を伸ばすためのことに時間も頭も使える」→「工夫をしたり、良い勉強法のことを考えられる」
次元の低い部分は 考えなくても終わらせている。これこそが習慣の力ですよね。だから時間や能力をその先のことに割くことが出来る ということです。そこが自主性を発揮できる最低限のスタートラインです。
ただここにはパラドックスがあります。なにか?習慣は自主的に身に付けられるのか? ということです。放っておいて習慣がつくのか?ということです。
これは実は難しいと思います。
世界一ホームランを打っている王貞治ですら、若い頃の練習習慣は荒川コーチと二人三脚で作っています。 本田圭佑も 祖父と決めたルール「毎日練習ノートを作る」ここからスタートしています。 イチローも小学生時代の毎日練習するという約束はチチロー(イチローの父)としていました。
つまり 「のちのちの自主性を作るための習慣作りだけは、環境を、外から用意してあげる」
これは 教育の一丁目一番地ではないでしょうか。
ここを「自己責任だ」といって大人が子供を放置する。これは少なくとも教育に携わる人間がやってはいけないと、駿英ゼミナールでは考えています。
「駿英さんはそこまで管理するの?」「厳しすぎるんじゃないか?」「やるかやらないかは子供に考えさせて自主性を」
ちがうんです。自主性を作ってゆく為の 最初の土台を作ってあげることが、大人の役割りなんですよ。
そこは子供に選択させることではないです。
ライオンの親が 餌の取り方を習うか習わないか?子供に選択させますか?
そこだけは 絶対に叩き込むはずです。
それが人間にとっては「習慣の作り方」なんだと駿英ゼミナールでは考えています。そこだけは 創ってあげたい。
「習慣化された土壌の上にのみ、自主性の花は開くのだ」と、アインシュタインも言っています。(多分)
まあそんなことなので、 うちの塾で育ってきた生徒たちはとても頼りになりますよ。
そんな頼りになる高校生の話を、金曜日に鈴木先生がブログにい書いてくれると思いますので、皆さん 乞うご期待です。鈴木先生、よろしくお願いします。