先生ブログ
教育の目的 by中山
2018年02月21日 13:43
幸せ を数値化することはできませんよね。他人同士でどちらが幸せかどうかって分からないわけです。
ただ、自分の中で 「あの時」と 「この時」と 「今現在」 を並べて、今の方が幸せだとか 前の方が幸せだったとかって 考えることはできます。
このたび HPをリニューアルすることになりました。明日の午前中に一度接触出来ない時間があり、その後、変わります。
5年前にHPを作ってから、今までのこと、新しいHPの文面などを考える中で、昔と考えが変わった部分も枝葉の部分ではあります。 が、根本の部分では変わっていないことを再認識しました。
教育は何のためにあるのか?
いろんな答えがあると思いますが、 駿英ゼミナールで考える一番根っこの部分を考えるとやはり
「子供たちが幸せな人生を送ってゆく為にある」ということになります。
その時期、その時代によって必要な知識や情報は変わっていきます。 じゃあ教育によって何を身に付けるのかと言うとそれは 「自分に必要なものを身に付ける方法を学ぶ」ということ、が第一にありますが、それだけじゃあ幸せにならないですよね
一番大事なことは 「自分にとってどんな時が幸せなのか」を知る、ことですよね。
「ゲームしてる時だよ」と言う声が聞こえてきそうですが、 まあまあ、それより楽しいことあるかもよ?それを知るためにいろんな世界を見てみようか、それも教育の意義ですよね。
(その幸せは今後も継続できるのか?も考えないといけません。ずっとゲームだけはやっていられない)
あとは、年齢や時代によっても幸せは変わりますから、その時に自分の引き出しの中に「ゲーム」しかなかったら、選択肢が取れません。 だからいろんな世界を、学生のうちに知っておきましょう。幸せの種を集めておきましょう。それが ひとつ 学習する意義ですよね。
あとは、生きてゆくうえで 自分以外の人間=社会 との関りは必ずあります。 そこを考えてみると自分が幸せだけでは、実は幸せになれませんね。
そして、いま幸せではない、もしくは今が幸せだ、という気分の大半は この「人間関係」がうまく行ってるかどうかに かかっている、もうほぼ9割はそこでしょう。
中学生でも大人でも、 楽しそうな人は人間関係が充実しているし、つまらなそうな人は人間関係に問題を抱えています。
社会 つまり 自分以外の他人との関係性を築く、発展させる、修正する、 こういった作業に必要なことは何なのか、と考えたときに 「性格」とか「見た目の良さ」とか「頭の良さ、運動神経」などと 中学生くらいなら答えるかもしれません。
これらは 確かに0ではないかもしれませんが、実は大したことではない。
一番大事なことは 「相手の立場に立つ」ということでしょう。
長期的に見たら、「相手の立場に立ってあげる」これが出来ていない人って大体うまくいかないですし、 出来ていれば なんやかんや うまく行くんではないでしょうか。
相手の立場に立ってあげられるこの高い視点のことを
「客観性」と言う言葉で置き換えてもいいかもしれません。
学校の勉強がなぜ9科目もあるのか? 将来使わないじゃないか? こんな発言よく聞きますよね。 使いませんよ。絶対。9科目全部使ってる大人を見たことないです。
ただ、9科目全部に取り組むことで手に入れられるのは 「自分を知る」という視点です。苦手なものがある。得意なものがある。これらを克服しよう どうやって克服しようか?
これを考える中で手に入れられる自分を俯瞰してみる視点のことも 「客観性」と言います。
自分のことを特別視しない、自分が苦手なものを他人は得意かもしれない、逆もある、 色々あるんだな、でも克服は出来るよね。 正しい手順で学習すれば、 出来ないことはないよ。学校の勉強くらい。
客観性を手に入れることで、こんな強さと柔軟性(=解決力)を身に付けてもらいたい。
そうした「客観性」と「解決する力」の二つを持ち合わせていれば 時代がどんなに変わっても 社会とうまく協調しながら、自分の幸せや 楽しいことを見つけて行けるのではないでしょうか。そんな人間になってもらいたい、そうした思いを持って 子供たちの指導に当たってまいりたいと思います。
※2月25日 中2 新中3対象の保護者会を 行います。 場所は文化センターの第一集会室です。 午前10時から11時半 の部 と 午後1時から2時半の部 の二つありますので、ぜひどちらかにご参加ください。 よろしくお願いします。